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ジョジョ6部:プッチ神父の「宇宙は一巡した」の意味は輪廻転生?

ジョジョの奇妙な冒険第6部・プッチ神父の宇宙一巡 アニメ・漫画・ドラマ

ジョジョの奇妙な冒険第6部のクライマックスで、「時の加速が行きつく究極のところ宇宙は一巡した」というプッチ神父の台詞は有名ですが、人によって解釈が異なるようです。

ジョジョの奇妙な冒険第7部以降の世界はプッチ神父がスタンド(メイド・イン・ヘブン)で時を加速させた先に行きついた世界であり、パラレルワールドだという意見が大多数です。

どうして時が加速したら宇宙が一巡するのか?

荒木先生の「ジョジョの奇妙な冒険では」色んなところで物理や化学をはじめ学識のある人でないと理解できないような理論に基づいた描写が描かれることが多々あります。

第5部ではラスボスのディアボロとヴィネガー・ドッピオを描くことで、表情だけでなく体格まで異なる多重人格障害の症状に言及していますし、第6部ではウェザー・リポートのスタンド能力(ヘビー・ウェザー)を描くことでサブリミナル現象に言及しています。

ディアボロの多重人格障害もウェザー・リポートのヘビー・ウェザーも理論上は成立しますが、実際にあんなに極端な症状や現象はあり得ません。

そのため、プッチ神父が時を加速させて宇宙を一巡させたという設定もズバリ極端な発想だと言えます。

なぜなら、時が加速した究極の結果、宇宙が一巡するなどという理論は存在しないからです。

これは、荒木先生のオリジナルの発想で、ディオや承太郎のように時を止めるとか、ディアボロのように自分にとって不都合な時間だけを予知して消し飛ばすという発想を超えるため最終的に行きついた離れ業だと言えます。

「運命とは重力だ」というプッチ神父の重力信仰

ジョジョの6部のクライマックスでプッチ神父のメイド・イン・ヘブンがどんどん進化して姿を変え、最終的には額に重力計の付いた馬の姿に進化しますが、プッチはことあるごとに重力を強調します。

運命とは重力だと断言するプッチの理論がどういうことかと言うと、重力を支配する者が運命を支配するという意味ですが、一般的に我々は重力と運命を関連付けて考えたりしません。

プッチの理論によると人の運命は重力により支配されているので、時を加速させて行きついた先のうんで自分以外の人間の運命がどうなるか、プッチがコントロールして支配できるという意味だったのでしょうか。

このあたりの詳細については荒木先生に聞いてみないと分かりませんが、作品を最後まで見た感想としてはプッチが運命をコントロールしているというよりは、プッチは他人の運命を俯瞰しているといったほうが適切だと言えます。

最終的には変わるはずのない運命がエンポリオの行動によって変わったことで、高濃度酸素に毒されて死んでしまうのですが、重力を支配し運命を支配したはずの男があっけない最期を迎えたのは意外でした。

一巡という発想は仏教の輪廻のことを言っているのか?

ところで、そもそも時の加速と宇宙の一巡という2つ要素は関係がありません。

これを敢えて、時が加速されて宇宙が一巡されるとしたことで、意味が分からないけれど奇妙で面白くなったのだと思います。

プッチが時を加速させた先の世界ではプッチとエンポリオ以外の登場人物はみんな顔形や名前がどことなく似ていますが、みんな同じようであって別人、別人のようであって厳密には同じ人物です。

つまり、これは仏教でいうところの生まれ変わりであり輪廻転生を露骨に描いたものだと言えます。

仏教における生命観では、輪廻という概念は実際は同じ人物がお互い気付かずに来世で再会するというようなものではなく、一人の人間生命が生命の次元で永遠であるという概念に基づいており、それは死んで新たに生まれ変わり姿や形が変わっても同じ生命であることを意味します。

そして、時として前世で深く縁していた生命は来世で巡り合える可能性が高いと言われますが、これは恋愛のような類の次元ともまた異なります。

その意味では、プッチが宇宙を一巡させた世界でジョリーンのそっくりさんや承太郎のそっくりさんが登場して、同じような死に方を繰り返すというのは、厳密には輪廻転生とも異なります。

宇宙が一巡した世界は仏教の因果を表現したもの?

プッチはことあるごとに運命という言葉を引用しますが、仏教でいうところの運命の概念は、どうしても避けられない宿命や運命のようなものを業(カルマ)として生命に付きまとうものだと考えます。

俗にいう、前世で悪いことをしたから今世でひどい目に遭うとか、前世で良いことをした報いに今世で幸せになるという考え方がまさにそうです。

ジョジョの6部のクライマックスで描かれる因果の法則は、ジョリーンも承太郎も運命から逃れることができずに何度も同じような最後を迎えるので、荒木先生が描く因果の概念は悲惨な宿命・業に縛られて逃れることができない負の因果を描いていることになります。

なぜなら、純粋に因果を表現するのであれば、良い行いは良い業として生命に刻まれるので、時が加速した先の世界では逆に良い来世が待っていてもおかしくないからです。

ところが、ジョジョの奇妙な冒険を描くためには登場人物に悲劇的な過去や因縁が必要で、ヒロインをはじめ宿命に振り回される者たちが宿命を振りほどく姿を描くことが非常に重要となります。

なぜなら、それが人間賛歌だからです。

だから、どうしても6部では因果や宿命について負の側面を強調したのだとつくづく感じます。

輪廻と因果は密接な関係にある概念

生命が宇宙次元で永遠であるという考え方と、生命レベルでその身に刻んだ業が来世も変わらず付きまとうという考え方は、仏教においてはセットの概念です。

要するに、生命は永遠で今世だけで完結するものではないから、今世で生きているうちに過去世の業を消すとか、来世に業を引き継がないために今世で悪い業を積まないようにしようと考えるのです。

荒木先生が描く「ジョジョの奇妙な冒険第6部」でプッチが語る因果は、全てプッチに都合の良い因果が語られており、前世と多少変わることはあっても似たような理由で悲惨な結末を迎えることが強調されています。

ところで、プッチ神父はクリスチャンでありながら仏教で語られる生命の永遠性や因果という概念に心服しているのは非常に滑稽で笑えます。

また、生命は永遠であり因果もまた然りと言いながら、業を消せるという仏教の概念をまっこうから否定しているというか無視しているのも面白いです。

これは第4部で吉良吉影が川尻隼人に自ら正体をばらし、それが原因で無敵のバイツァーダストを解除せざるを得ず敗北するのも笑えます。

荒木先生の作品は運命や因果という超絶的な力に圧倒されるヒロインが、それを人の意思と力で克服して悪を倒すことに主眼を置いているので、吉良にせよプッチにせよ悪が最後に滅ぶというのは読んでいて気持ちが良いものです。

「人間賛歌とは人間を否定しないこと」だと断言していた荒木先生ですが、実は公言こそしていませんが人間賛歌は運命を克服することなのかもしれません。

だとすれば、第1部のジョナサン・ジョースターは運命を克服できたのかと言う疑問が湧いてきてしまいますが、かならずしも悪を打倒して完結することだけが運命に勝つという意味ではないのかもしれません。

荒木先生の人間賛歌については今後も検証が必要です。

なお、「ジョジョの奇妙な冒険第6部」のあらすじについては、ジョジョの奇妙な冒険第6部あらすじ解説【シリーズ初】主人公が女の子で超魅力的で詳しく解説しています。

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