『鬼滅の刃』が映画の歴代興行収入のNO1の座に輝きましたが、その陰には最低最悪のゲスキャラであり鬼の王である鬼舞辻無惨の存在があります。とろこで、無残のゲスなところってジョジョの奇妙な冒険のディオに似てる気がしませんか?実は2人とも吸血鬼という共通点がありますが決定的な違いがあります。
ディオ・ブランドーと鬼舞辻無惨の共通点①
ディオと無惨は生まれた場所や経緯は異なりますが、2人とも人の血を吸わなくては生きていけない吸血鬼です。ディオは純粋に吸血鬼(バンバイア―)と呼ばれますが、無惨は鬼と呼ばれています。
とは言っても鬼とは吸血鬼の3文字から最後の一文字を拝借しただけの文字なので、鬼とはつまり吸血鬼のことを指します。ところでこの2人は吸血である以前に、悪の帝王というラスボスとしての共通点があります。
2人とも物語の最後の最後まで主人公を苦しめ困らせ、どうやったら倒せるのかとイライラするほど強かった点はラスボスとしては合格に値します。
ディオは時を止めるというこの世の摂理を司る能力で生物に頂点に立とうとし、無惨は吸血鬼としてこの世を支配し鬼の王になろうとしていました。
ディオの方が世界を視野に入れている点、若干上を行っている気もしますが、大正時代に日本を支配ようしうと企んだ無惨もなかなかです。
2人とも人間をただのエサとしてしか認識しておらず、邪魔者を容赦なく殺すことや目的達成のためなら自ら出動することもある点も共通しています。
ディオ・ブランドーと鬼舞辻無惨の共通点②
ディオはエジプト9栄神のスタンド使いやバニラ・アイス、ホル・ホースのように、ある程度信頼している部下には肉の芽を植えていませんでした。
*肉の芽とはディオの吸血鬼の細胞を人間の脳に植え込み、裏切り行為をすると増殖して脳を食い破る保険的な手段。
つまり、自分がこの世で圧倒的に強い存在であることを自負していたので、無闇な殺生に興味はなかったことがよくわかります。
それどころか、プライドとか名誉という言葉にも興味がなく、人間が一生という枠で縛れるからこそ口にするような発想を嫌悪し、名誉など永遠不滅の自分には意味のない便所の糞にたかるネズミのような価値しかないと吐き捨てたりしました。
ディオの発言や行動からは、神である自分と取るに足らない人間という構図を見て取ることができて、そこからディオの傲慢さと言うものがよく分かります。
そのため、実力の差で承太郎との殴り合いに負けて敗北した時、ディオの口から出た言葉は「このディオが~!」という哀れな自惚れの言葉でした。
部下のマネジメントはうまくやれたディオでしたが、人間としての精神的な成熟度はサッパリだったことがわかります。ディオには人間時代から謙虚さとか畏敬の念とういうものが完全に欠如していました。
これにはディオの生育環境が劣悪だったことが大きく関係していて、人は育ちが悪ければ人格形成に悪影響が出ることをディオが身をもって証明してくれています。
一方で鬼の王を目指した鬼舞辻無惨ですが、部下のマネジメントは下手で人材登用どころか中堅社員を皆殺しにするという、経営者失格の大失態をやらかすほどの暴虐ぶりをみせましたが、人としてはディオよりも生ということについて、畏怖の念があったように思われます。
生まれた時から病弱だった鬼舞辻無惨は20歳まで生きられないと医者に言われ、床に伏して医者の治療を受けて生きながらえていました。
そして、いつまでたっても病気が治らないことに業を煮やした無惨は医者を刺し殺してしましますが、医者が死んですぐに治療の効果が表れ、無惨の体を鬼にするという形で治療は成功しました。つまり、無惨は医者の誤った治療で鬼にされてしまったのです。
無惨には生まれた時から死の影が付きまとい、常に死が隣り合わせだったと述懐していることから、死に対する恐怖と生に対する畏怖の念はあったものと思われます。
しかし、鬼になったことで強大な力を手に入れディオのように傲慢になったのかというと、そうではないと思います。世話になった医者を殺害している時点で、やはり無惨も人間だった頃からクソ人間だったのです。
ただ、生まれつき頭脳明晰で体も頑健だったディオと比べると、無惨はなんとか生きながらえてようやく力を得ることができたという点で、ディオよりも死の恐怖を深く理解できているはずです。
死の恐怖についてはディオは3秒で人間を辞めているので、ディオに死を語る資格はありません。
ディオと無惨の決定的な違いは部下の管理能力の差
ボスキャラには部下や僕の存在がつきものです。ディオにも無惨にもレベルの違いはありますが多くの部下がいましたが、この2人の部下に対する接し方には大きな違いが見られます。
これはボスという立場を会社の経営者や上司として見てマネッジメントスキルの有無を比較することで、その差がはっきりと分かります。
結論から言うと、結果第一主義で目的達成を重視するのがディオで、感情的で怒りにまかせて判断ミスを連発するのが鬼舞辻無惨だと言えます。
組織のリーダーとして才能を発揮したディオ
『ジョジョの奇妙な冒険』におけるディオのふるまいには、オーナーや経営者・リーダーとして優れた点が垣間見られるエピソードがあります。
それはエジプトで任務失敗の報告をしに戻って来たホル・ホースと面会した時のことです。
ホル・ホースは単純でアホな男なので、実力はありますが身の程知らずです。ディオにインドでの任務に失敗した報告をしに戻った際、背中を向けて無防備なディオを見て、このまま射殺してしまえば全て自分のものになると野心が芽生え、背後からディオに銃口を向けます。
ところがディオはそんなホル・ホースの浅はかさを見抜いていたばかりか、時を止めて力の差を見せつけ精神的に屈服させることで、自分には敵わないことを分からせてしまいます。
その結果、ホル・ホースは殺されるわけでもパワハラを受けるわけでもなく、心底ディオに服従することを誓い、ジョースター達に挑むことになるのです。(結局負けましたが・・)
このディオの手法は社員の人事マネッジメントの観点から見ると非常に優れた判断をしたと評価できます。ディオほどの力があればホル・ホースのエンペラーの能力など全く相手にならず、自分が死んだということに気付かせる時間も与えず始末することができたはずです。
ところがディオはホル・ホースを無闇に殺すことはせず、利用できるものは最大限利用しようとする観点からホル・ホースに再度チャンスを与えます。
この時のディオの対応は経営者としてもリーダーとしても模範的で優れた判断をしたと言えます。恐らくディオが現代の企業でマネッジメントをしたら、利用できる社員を酷使して死なせるような間抜けなことをせず、敢えて仕事を継続できるように利用するはずです。
このディオの優れた人事マネジメントに比べて無惨のマネジメントは最低だと言えます。
次に無惨の部下に対する対応を紹介します。
鬼舞辻無惨はブラック企業のパワハラ上司
無惨の人事マネジメントのレベルの低さは、下弦の五の鬼である累(るい)が鬼殺隊に首を刎ねられて死んだ際に無限城で招集した有名なパワハラ会議で露見します。
この会議は死んだ累以外の下弦の鬼が全員招集されていたにも関わらず、お気に入りにの累が死んだというだけで無惨はプッツンしてしまい、今まで上弦の鬼が100年以上ひとりも首を刎ねられていないのに下弦の鬼は何人殺されてるか分かっているのかと、営業成績の悪い部下を攻めるクソ上司のような対応をします。
それだけでなく、言い訳をしたり頭の中で反感を抱いたりした部下は即座に考えを読み取って食い殺し、言い訳しようとすると、「何も違わない。私は間違えない」と聞く耳を持たず、下弦の一の煙霧以外皆殺しにしました。
煙霧だけを殺さなかった理由は、煙霧が他人が苦しんで死ぬ姿を見ることに幸福を感じるという生粋の変態だったのが理由で、無惨はそれを知って「気に入った」と煙霧にさらに血を分け与えます。
そもそも、部下を登用するにあたって才能や能力を見極めず、その変質的な性質にのみ着目している時点で無惨はリーダーとして失格だったと言えます。
その為、身辺にろくでもない部下しか残らないことになり、最後は鬼殺隊の総力戦で負けてしまいました。
はっきり言って無惨の周囲には黒死牟(こくしぼう)を除いて敬意を払うに値する存在などいなかったのではないでしょうか。黒死牟ですらもとは自分を刈ろうとしていた鬼狩りでしたが、日の呼吸と透き通る世界を極めた双子の弟への嫉妬心に負けて鬼に魂を売っただけであって、本来は無惨のようなゲスではありませんでした。
そういう意味では、無惨の周りには最初から心を開ける人物など一人もいなかったと言えます。猗窩座(アカザ)には意地悪しまくって滅法きつく当たっていたし、上弦の六の堕姫(だき)など甘やかしすぎて調子に乗らせてしまい首を刎ねられてしまうし、無惨は部下の扱いが下手だったことがよく分かります。
純粋な生命力を吸血鬼の性質から比較
ここまで経営者目線でディオと無惨を比べてみましたが、果たして純粋なファイターとして2人を見た場合、同じ吸血鬼としてどちらが強いでしょうか。
2人とも太陽の光を克服できない悩みを持っており、首を刎ねただけでは死なないという点ではディオも無惨も同じレベルです。
ディオと無惨を比較するにあたって、それぞれの吸血鬼の弱点をはっきり理解しておく必要がありますが、不死身という単語が軽々しく使われる割には『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する吸血鬼のほうはそれほど完璧な不死身でもないことが分かります。
また、『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する吸血鬼は怪力だけが武器であり、ディオを除いて特別な能力を持った吸血鬼というものは存在しません。
ディオは吸血鬼でありながらスタンドパワーを持ったという点で吸血鬼の頂点に立ちましたが、吸血鬼そのものは驚異的ではあるものの、それだけで不死身を維持するのは難しそうです。
頭部完全破壊で死ぬかもしれないジョジョの吸血鬼
ところでディオは不死身の吸血とは言いますが、エジプトでポルナレフに暗殺されかけた時に言ったセリフは興味深いです。
あともう少し脳組織を破壊できれば殺すことができたかもしれなかったとポルナレフに残念賞をあげるシーンがあるのです。
つまり、不死身の吸血鬼とは言ってもチャリオッツで脳をぐちゃぐちゃにできれば倒せたかもしれなかったということです。
この点、承太郎がディオの頭にスタープラチナでパンチを叩き込んだ時も、ディオが気分が悪いと言ってゲーゲー言ってるシーンもあるので、ジョジョにおける吸血鬼は太陽の光だけが弱点ではないことがわかります。
首に関しては全く弱点とは言えず、『鬼滅の刃』の鬼のように首を刎ねられても全くノーダメージで、自分で拾ってくっ付けてしまいます。
首を刎ねる以外に討伐が難しい鬼滅の刃の鬼たち
一方で『鬼滅の刃』の鬼というものは、首を刎ねるか太陽の光に当てる以外に鬼を殺すことはできません。ところが、ハイレベルな鬼になると首を刎ねても死にません。
上弦の陸・堕姫(だき)と妓夫太郎(ぎゅうたろう)は2人で1人の兄弟の鬼でしたが、どちらか一方の首が切られた状態でもう一方の首を切らなければ、死なないどころかすぐに再生してしまいます。
また、上弦の三の猗窩座や上弦の一の黒死牟(こくしぼう)も日輪刀で首を刎ねられても死なず、首の弱点を克服したことは有名です。
しかし、首の弱点を克服した猗窩座や黒死牟は、それと同時に内面世界にも大きな変化が生じていて、その変化は二人にこれ以上戦うことを止めさせることに繋がり消滅してしまいます。
つまり、無惨を除いて全ての鬼にとって首の弱点を克服することは、鬼を辞めることを決意させることと等しいのです。たとえ弱点を克服できてもそれ以上生き続けることを望まなくなるからです。
ただし、鬼の頂点に立つ鬼舞辻無惨だけは特別で、心臓が7つと脳が5つという特異体質を持ち、全てを破壊しないと殺すことができないという変態的な強さを持っています。
首を刎ねるなど論外で、体をバラバラにして逃げることも可能であることから、不死身と言えば無惨ほどの不死身度を持った存在はいないと言えます。
無惨は唯一太陽の光だけは克服できませんでしたが、それは原理的に可能だったことが無惨が死んだ直後に分かります。
結論
『ジョジョの奇妙な冒険』吸血鬼と『鬼滅の刃』の吸血の生命力をディオと鬼舞辻無惨の体質をもとに考察してみましたが、どうも鬼舞辻無惨のほうが不死身度が高いようです。
生まれた時から死産として認識され、生まれてからも何度も死にかけ常に死と隣り合わせだった無惨と、生物の頂点を自負し続けたディオとでは人生観が異なるのはもちろんですが、その過程で身に着けた体質も全く異なることが分かります。
無惨は生に執着した結果、弱点を克服するために脳や心臓を体じゅうに分散させる得意体質へと成長しましたが、ディオは自身の力に溺れ、最後は自分の十八番を承太郎にパクられて粉砕されたうえ砂漠にバラまかれました。
ともに不死身の存在として脚光を浴びたディオと無惨ですが、その執念深さや体質の異常性を考慮するとディオよりも無惨のほうが変態的な生命力を持っていることがよく分かります。
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