「鬼滅の刃」無限列車編をプライムvideoで視聴しました。煉獄さん、十二鬼月の上弦の三・猗窩座(あかざ)に腹を貫かれて死んでしまうとは!さすがに泣きそうになりました。煉獄さんって下弦の一・魘夢に見せられた夢の中でも辛い過去に負けず前を向いて生きてる凄い人だったんだなとコミックを読んで感動したけど動画で観ても同じでした。一方、すでに知ってる猗窩座の過去が壮絶すぎてこれまた泣いてしまいます。
煉獄杏寿郎が夢で見た過去
下弦の一・魘夢の血気術は強制昏倒(きょうせいこんとう)という強力な術式で、鬼である魘夢(えんむ)の体じゅうに付いてある目玉と視線が合うか、一定の条件にはまってしまうと強制的に眠らされてしまいます。
無限列車の被害拡大を阻止するべく乗り込んだ鬼殺隊の隊士3名である竈門炭治郎(かまど たんじろう)・嘴平伊之助(はしびら いのすけ)・我妻善逸(あがつま ぜんいつ)、炭治郎の妹で鬼である竈門禰豆子(かまど ねずこ)、そして炎柱・煉獄杏寿郎でしたが、鬼のねずこ以外は全員夢に落ちてしまいます。
魘夢(えんむ)の血気術を破るには夢の中で自らの首を切り、夢の中にいる自分を否定する以外に方法はありませんが、これが出来たのは炭治郎だけでした。
魘夢(えんむ)の夢の中ではよほど強い自我を持っていないと夢と現実の区別がつかなくなり、夢の中に留まろうとさせる力に負けてしまいます。魘夢(えんむ)は気持ちのいい覚めて欲しくない夢を見せるのです。
しかし、煉獄杏寿郎が夢で見た過去の自分は全く心地の良いものではなく、あんな夢を見てずっと覚めないで欲しいと願うはずがないような夢だったのです。
柱だった父が酒に溺れて柱を辞めた理由
煉獄杏寿郎の父親である煉獄槇寿郎(しんじゅろう)は、煉獄杏寿郎と同じで鬼殺隊の炎柱だったにも関らず、努力しても才能のある隊士には決して追いつけないという現実を知り、腐って柱を辞めてしまった人です。
柱を辞めてからは酒に溺れ布団に入りゴロゴロする日々を送り、息子2人に稽古をすることもなくなりました。
皮肉なことに、煉獄槇寿郎にここまでの敗北感と挫折感を抱かせてしまったのは、炭治郎と同じ額に痣のある「日の呼吸」の剣士に出会ってしまったことが原因だったそうです。
炭治郎が無限列車に乗り込んで最初に煉獄杏寿郎に尋ねた内容が「日の呼吸」についてでしたが、煉獄杏寿郎は煉父親からそれについては教わっておらず、「それについては聞いたこともない。この話はこれまでだな!」と相手にされませんでした。
しかし、死ぬ間際に自分の実家へ行って手がかりになる書物があるかもしれないと炭治郎に言い残します。「日の呼吸」とは「鬼滅の刃」の中でカギとなる呼吸法で、始まりの剣士と呼ばれる全ての呼吸法の元となる呼吸法のことです。水も炎も風も霧も全ては「日の呼吸」の派生なのです。
炎の呼吸の使い手だった煉獄杏寿郎の父親はその事実を知り、とうてい努力が及ぶ相手ではないことを自覚してやる気を失ってしまったのです。
そして、煉獄杏寿郎が夢で見たものは紛れもなく腐って堕落した父親に柱に成れたことを報告したにも関わらず、「柱になんかなってなんの意味がある」と相手にされなかったという悲しい夢でした。
続けて弟の槇寿郎(しんじゅろう)にそんな父のことを正直に伝え、悲しい気持ちを認める一方で弟である槇寿郎には、「お前は違う。お前にはこの兄がいる。」と励ますことのできる、とんでもない精神力の持ち主なのです。
煉獄杏寿郎の夢だけが心地良くない理由
夢のなかで煉獄杏寿郎は弟に対して父親の心無い発現に対して悲しい気持ちであることを正直に話しています。
また、猗窩座との壮絶な戦いが終わりに近づく頃、早逝した母親の遺言を思い出します。
「弱気人を助けるのことは強く生まれた者の責務です。 責任を持って果たさなければならない指名なのです。 決して忘れることなきように」 |
そして、これを全うできたことを母親に報告してこの世を去るのです。夢も現実も何ひとつ楽なことがなく、生まれた時から責任を背負い込んで死ぬまで闘い続けたというわけです。
人は基本的に無意識にため込んだ本当の欲求を夢に見る生き物です。つまり、煉獄杏寿郎には人が夢で見る無意識レベルでの欲望や欲求というものが、すでに責任レベルの自覚に到達した精神力の持ち主だったため、煙霧の血気術に落ちても弱きものを守るという熱い情熱を夢に見たのでしょう。
煙霧が見せる夢は人の心の弱みを引き出しそこに引き留める力がありますが、精神的に成熟した自我を持ったものには通用しなかったということです。だからこそ、鬼でもないのに煙霧にそそのかされて煉獄杏寿郎の心の核を破壊しようとした人間もいましたが、結局は壊せなかったのです。
でも、こんな若い青年に命を賭けてまで責任を背負い込ませる教育というのは実際どうなのでしょうか?大正時代の日本を舞台にした作品だけに武士道に近いものも感じますが、煉獄杏寿郎の責任感はまた別のような気もします。
一見すると正反対だが実は似ている煉獄と猗窩座
一方、弱き者を守ることに命を捧げた煉獄杏寿郎と対峙した猗窩座(あかざ)は初対面で本音トークを開始するという面白い展開になります。
煉獄杏寿郎は、「君とは初対面だが俺は君が嫌いだ」と人を食う鬼である猗窩座(あかざ)を全否定します。
反対に猗窩座(あかざ)も煉獄が負傷した炭治郎をかばったことに対して、俺も「弱い者・弱者が大嫌いだ」と毒を吐きます。
お互いが本音で真逆の意見をぶつけ合っているようですが、これには伏線があり実は2人はもともとは同類だったことが後から分かります。(無限列車編だけ見てもわかりません)
なぜなら、そういう猗窩座(あかざ)自身がかつて人間だった頃、まさに弱き者を助けるために命を捧げようと生きていたのに、誰も守り切ることができずに絶望してしまい、生きる希望を失い彷徨っていたところを鬼舞辻無惨(きむつじむざん)に付け込まれて鬼にされてしまった過去があるからです。
猗窩座(あかざ)には泣いても泣ききれないほどの壮絶な過去があります。
猗窩座(あかざ)の壮絶な過去
猗窩座は人間だった頃、狛治(はくじ)という名前でした。狛治は貧しく病気で動けない父親と2人暮らしでしたが、父親を守るためならなんでもするという覚悟で、毎日泥棒をしてお金を稼いでいました。
ところが泥棒をしてバレるたびに何度も捕まり全身に罪人の入れ墨をたくさん入れられ、狛治のふるまいに責任を感じた父親はなんと自殺してしまうのです。
父親を守れなかったばかりか自殺に追い込んでしまった狛治は自暴自棄になり町で大喧嘩をします。10人がかりでも相手にならないほど喧嘩が強い狛治でしたが、かけつけた武道家の慶蔵にコテンパにやられてしまいます。
しかし、慶蔵の人徳に惹かれた狛治は慶蔵の弟子となり武道の道を志すことになります。そして、16歳にして誰もが認める武道家として名をあげるに至り、慶蔵にも認められたうえで娘の恋雪(こゆき)と恋仲になります。
ここまで聞いたら滅茶苦茶ハッピーなサクセスストーリーに聞こえますが、ここから信じられない展開に発展するのです。
なんと、町でも有力な隣の剣術道場の主の息子が恋雪(こゆき)に目を付けていて、思いが叶わなかった嫉妬心から井戸に毒を入れて慶蔵も恋雪も殺してしまったのです。
もはや敵なしの狛治は怒り狂いボンボン息子の道場に乗り込み、ボンボンと門下生合わせて67人を素手で皆殺しにしてしまったのです。
しかし、命に代えても守りたかった恋雪を守れなかった狛治は生きる気力を失い再び絶望のどん底に叩き落されます。そして、そこに現れたのが慶蔵のような人徳のある人ではなく、悪の権化である鬼舞辻無惨を(きむつじむざん)だったのです。
狛治は鬼舞辻に誘われるがままに鬼になってしまいました。
しかし猗窩座は人間時代、その身に降りかかった悲劇にどう対処すれば良かったのでしょうか?
こんな想像を絶する悲劇を乗り越える術などあったのでしょうか?
煉獄杏寿郎と猗窩座の共通点と違い
私がなんとなく思うのは、作者の吾峠呼世晴さんはそこを煉獄杏寿郎という人物の存在で救いがあることを訴えたかったのではないかと思うのです。
弱き者を守りたいという強い思いを持ちながら鬼殺隊の柱にまで上り詰めた煉獄杏寿郎と、立場は違うが同じ思いで生きようとしたが運命に翻弄されて鬼になった猗窩座。
2人はともに生まれついての実力の持ち主で、それは猗窩座が初対面の煉獄に対して積極的に「お前も鬼にならないか?」と煉獄が死ぬ間際まで誘い続けていることからもよく理解できます。このシーンでは猗窩座が鬼でありながらも?至高の領域を目指す気高さを持っていることが分かります。
猗窩座の誘いに対して煉獄が即答した内容はまさに名言でした。
老いることも、死ぬことも、 人間という儚い生き物の美しさだ。 老いるからこそ、死ぬからこそ、 たまらなく愛おしく尊いのだ。 |
結局、命果てるまで弱き者を守るという責務に殉じた煉獄と、はかなくすぐに死んでしまう弱き者など守る価値などないと真逆の考え方をする猗窩座も、もとを正せば同類だったことがよく分かります。
●煉獄は命を燃やして最後まで弱き者を守り抜いて死んだ。
●猗窩座は命をかけても守り切れず絶望して鬼になった。
土壇場での究極の選択で猗窩座は道を誤ったのが煉獄との大きな違いということでしょう。
この2人は出会うべくして出会ったような、そんな設定になってる気がするのは私だけでしょうか。
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