虚淵玄(うろぶちげん)のPSYCHO-PASSのファーストシーズンで免罪体質者として最後までシュビラシステムに抗い続けた槙島聖護ですが、槙島のカリスマ性の裏にはたくさんの本から学んだ豊かな知識があったことは有名です。宿敵である狡噛信也や仲間のチェ・グソンはじめ誰と話をする時も書物を引用して話すケースが目立ちました。
槙島はどこで人の魂の輝きという概念を知ったのか
槙島聖護の発言は一言一言が名言と呼べるような重みや深みを持っていることが多く、そこから槙島が書物から大きな影響を受けていたことが伺えます。
ファーストシーズン第1話の冒頭は、初めて狡噛信也と対面するシーンから始まりますが、その時もお互いが哲学者の言葉を引用してやり取りし、そこだけ見ても槙島が博学であることは十分に理解できますし、狡噛信也もまた同類であることが分かります。
最後まで徹底的にシュビラシステムに抵抗した槙島ですが、彼はどんな人間関係でも、どんな才能でさえも何かで補える世の中に飽きていたと死ぬ直前に述懐しています。
そして、作品の中で何度もシステムを神のように盲目的に信じる人間などに生きる価値などあるのだろうかと疑問を投げ続け、人の輝きが見たいことや、人が本当に生きるに値するものだということをこの目で確かめたいと発言しています。
実は槙島のこういった願望や発言は、よく考えるとおかしな点が多く見受けられます。なぜなら、人を残忍な方法で殺害し、その行いに一切の罪悪感を感じないという人格から「人の魂の輝き」とか、人が生きるに値することをこの目で確かめたいなどという言葉が出てくるはずがないからです。
槙島が書物から学んだ人の魂の輝きと現実の違い
槙島聖護は生来博学で本をこよなく愛していたことから、本から多くの知識を得ていたことは間違いありません。槙島の発言には哲学書や文学作品からの引用が多く、読書好きだったことがよくわかります。
そして、そんな槙島が人間という存在の美しさや醜さも含めて、それが生きていること自体素晴らしい存在なのだと学ばされたのは、実は書物だったのではないでしょうか。
猟奇的な殺人を厭わず、システムに抗うことを知らない人間を軽蔑する槙島のような人格に、人の命の輝きについて深く考えるような余地は生まれないと考えられます。
槙島は先に書物で多くのことを学んではいたけれど、現実の社会はシステムに支配された奴隷のような人間ばかりがはびこり、そのシステム自体が実は存在価値がなくおかしな存在であることに気付いた時、書物で学んだ過去の賢人たちの知見と現実とのギャップに悩んだのではないでしょうか。
そうだとすると、真実を学ぶべきはシュビラシステムに迎合している日本国民のほうであって、槙島聖護という男は手段が過激すぎただけで、道を誤らなければ革新的な人間主義者になり得たかもしれません。
サイコパスで描かれる槙島聖護の生き方は、シュビラシステムという社会の理不尽に対して徹底的に軽蔑し抵抗する姿が描かれていますが、槙島聖護に興味を持つ者からすると彼に同調したり賞賛したくなるような気持になるのはとても不思議に感じます。
サイコパスの視聴者の多くは凶悪犯である槙島聖護に惹きつけられ、あたかも信者のような気分にさえなり得ます。その理由を考えてみましたが、それは槙島聖護の言葉にこそ人の魂の輝きの片鱗が見えるからではないでしょうか?
また、槙島聖護に人の魂の輝きという概念を教えたのは彼がこよなく愛した書物だったのではないでしょうか?
私には槙島聖護の一連の犯罪行為の根底には、人間の真実の姿が過去の哲学者が語ったとおりのものか確かめたいという強い欲求があったと思えてなりません。
それほど、槙島聖護は書物の中の賢人たちや彼らの言葉をこよなく愛していたと思われるからです。
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